講演会開催しました

2018年5月12日

結核講演会

Learn more

 


 

2018年5月11日

楢戸先生講演会

Learn more

 


 

2017年11月11日

WHOコラボレイティングセンター主催

 PCC セミナー

Learn more

 


 

2017年5月12日

楢戸先生講演会

Learn more

 


 2016年11月9日

第6回国際保健講演会

 

講師:下田佳奈先生

Learn more

卒業生の紹介

卒業生の紹介

松井 香保里さん

こんにちは!

私は聖路加国際大学を卒業し、4年間の病院勤務後、青年海外協力隊としてバヌアツ共和国に派遣されました。

日本人にはあまり知られていないバヌアツ共和国。南太平洋に浮かぶ南の島です。私は2年間この南の島の保健省予防接種拡大計画課に派遣されました。活動内容はバヌアツ全土の予防接種率向上です。保健省スタッフやUNICEF、WHO、アジア開発銀行、その他さまざまな援助機関と協力し、バヌアツの子供たちのための予防接種活動を行いました。

文化や習慣そして言語の違う途上国での活動は試練の連続です。何度も挫けそうになりました。おおらかですが、時間や約束にはルーズなお国柄の人々をリードしていくことは容易なことではありませんでした。特に厳重な温度管理が必要になるワクチン管理をバヌアツ人と行うのは苦労の連続でした。冷蔵庫の温度チェックをしない、UNICEFから届いたワクチンを予定通りに空港に受け取りに行かないなど、何度も失敗を目の当たりにして、「もうバヌアツの人たちが頑張る気持ちがなければ、厳重なワクチン管理は必要ではないのでは」と考えることも少なくありませんでした。それでも2年間、活動を続けてこられたのは、地域のママのため赤ちゃんのためという思いからでした。

バヌアツは交通事情が大変悪く、予防接種ができる病院まで行くために片道3時間10,000円以上かかるということも稀ではありません。また、家族の予防接種への理解が乏しく、そのためにお金を払ってもらうことができないため、家族が野菜を売りに病院のある地域に行く時に、ついでにボートに乗せてきてもらうという話も聞きました。このように大変な思いをして病院に来たママと赤ちゃんがワクチン接種を受けられないことはとても悲しいことです。ワクチンの在庫が無いから、ずさんな温度管理によってワクチン品質が悪化したという理由で貴重なワクチン接種のチャンスを逃すことだけは避けたいという思いがありました。「いつでも、必要な時に、看護師がワクチン接種をしたい時に、ママと赤ちゃんがワクチン接種を受けたい時に、予防接種ができるようにすること」を目標にしてきました。

 2年間の活動で、仕事を共にしたバヌアツ人スタッフのワクチン管理に対する意識が向上したかはわかりません。しかし、予防接種はアルマタ宣言にも記載されている人が受けるべき基本的医療サービスの一つです。自分が努力を続けたことで、地方のヘルスセンターの長期的な在庫切れが減ったことで、ワクチンが無いという理由で予防接種が受けられない赤ちゃんが少しでもいなくなったのならとても喜ばしいことです。

佐々木 空美さん(class of 2007)

学部4年の初めに研究領域を決める際、私は迷うことなく国際看護を選びました。理由はただ一つ、外国に実習に行きたかったからです。そんな単純な理由で決めた私でしたが、実際に講義が始まってみると、国際看護という領域の奥深さにどんどん興味を持ち始めました。一言に国際看護と言っても、活躍できる場所は発展途上国だけではなく、在日外国人や、医療従事者の教育の向上など、老若男女を対象としており、まさに看護の集大成と言えます。毎回の講義もとても魅力的な内容で、授業を飛び出してまで先生とディスカッションする毎日でした。実習先のタイで学んだ、習慣や宗教を尊重することの重要性は、日本の病院に就職した際にも日常的に役立つものとなりました。
日本で3年間看護師として働いた後、オーストラリアに移り准看護師として働き始めました。オーストラリアは移民国家のため、人種や宗教が様々で、初めは驚くことが多かったですが、仕事はとてもやりがいがあります。また、マイノリティとして異国で生活することの大変さを体感することも新しい経験でした。2012年のロンドンパラリンピック開催時は、セーリングチームのサポートスタッフとして大会に帯同する機会を得て、各国から集まるアスリート達と出会い、またメダル獲得の瞬間にも立ち会うという貴重な体験をすることができました。
国際看護に出会わなければ、このような新しい環境に飛び込むことは無かったと思いますし、日本の看護の質の高さを知ることも無かったと思います。グローバル化が目まぐるしく進む世界で、日本人看護師の活躍の場はもはや国境など関係なく、世界中のどこでも見つけられると思います。

 丹沢 美樹さん(class of 2009)

 国際看護の実習で訪れたフィリピンのパヤタス、トンドは、「東洋一のスラム」と呼ばれる場所。海も陸も衝撃的なまでにゴミに埋もれた中に、人々の生活がありました。現地で行われている保健活動の体験はもちろん、タガログ語の紙芝居を作って健康教育をしたり、子供たちへの歯磨き指導をしたり、NGO活動の見学やWHO支部の訪問など、実習はとにかく貴重な体験の連続だったことを思い出します。国際看護で学習することは、あらゆる保健分野に通じているため、汎用性が高く応用も自由なことが最大の魅力ではないかと思います。さらに私にとって、一連の学びは学生の間に完結するものではなく、その後の道のりにおいて様々な気付きを与えてくれるものでした。ヘルスプロモーションの目的は、豊かな人生を叶えること。翻って、一人の人間として、世界とどう関わるのか、何に使命を持ち、どう自分自身の人生を充実させていくのか。フィリピンに発ったあの日から今日まで、継続して学んだのは、そういった問いに向き合うことだったとも思います。

卒業後は、病棟で看護師として働いた後、イギリスにある日本人学校で3年半、養護教諭を務めました。海外で全寮制ということもあり、保健室の先生は大変やりがいのある仕事でした。現地の医療関係者と日常的に関わることは刺激になりましたし、在英日本人学校という特殊な環境で求められる役割や、海外で日本人として働くことについても考えさせられました。心洗われるような美しい景色の中で、学校保健における自分の適性を知り、公私ともに多くのことに挑戦し、多様な考え方と出会えたことは、この上ない幸せだったと思います。帰国後は都内小学校の養護教諭を経て、現在も都内大学で保健師として学校勤務を続けています。現在の職域である学校保健、産業保健の業務も、ひとつのコミュニティでの保健活動ですし、各国からの留学生の助けになることもできます。国際看護での学びや今までの経験を生かせることを、とても嬉しく思っています。

 山本 聖子さん

Botardi todos! (みなさん、こんにちは!)
ただ今、東ティモールという東南アジアの国で、学校保健活動を行っているNGOの一員として働いています。
自分の力不足を感じたり、ゆっくりとしか仕事が進まないことに焦りを感じたりもしますが、
聖路加の国際看護で学んだ「楽しく、明るく!」をモットーに、日々笑顔で活動しています。
現場に来てみて、難しく複雑な理論やシステムよりも、「楽しく、簡単で毎日続けられるちょっとした工夫」こそが途上国の人々にとって大切だということをしみじみ感じています。
皆さんも、そんな国際看護の世界を一緒に探検してみませんか。
お待ちしています!

東ティモールでの活動の様子

 田中 優美さん(class of 2009)

皆様、バエイシャパ?(グアラニ―語で「お元気ですか」の意味)

私は大学で国際看護を学び、4年間の臨床を経た後、青年海外協力隊保健師として2年間南米のパラグアイで活動をしてきました。活動では、市役所の小規模農家コミュニティ開発プロジェクトの公衆衛生分野担当として、主に「生活習慣病予防と栄養改善」「感染症予防と衛生教育」「医療アクセスの改善」を進めました。赴任当初は人が良く穏やかなパラグアイ人気質に救われる一方、基本的に受け身で“así no más(このままでいい)”“Igual no más(どっちでもいい)”を多用するパラグアイ人に悪戦苦闘する日々でもありました。しかし、そこは彼らの穏やかな気質に甘え、何事も挑戦をさせてもらいながら、現地住民にとって良い方法を模索することが出来ました。この自発的に動き・学び・挑戦する、そして臨機応変に柔軟性を持って対応するという姿勢は、大学時代フィリピンでの国際看護実習を通して身についたものだと感じています。パラグアイでの2年間、私が成し遂げられたことはほんのわずかですが、現地の同僚や住民が主体的に健康維持・増進活動へと向かうための一助となれたことを嬉しく思います。

一歩間違えればお節介、それでもその難しさの中で言葉や文化の壁を超えた共感や信頼関係を築くことのできる国際協力は、大学時代から今までの私の看護人生に大きな喜びと成長を与えてくれています。

パラグアイでの活動の様子

UA-64205131-1